こんにちは。
mitinecoです。
「能力が高い人間ほど、飽きやすく、精神を消耗しやすい」ということを知っていますか?
社会では言われているけれど、学校では教えないコトの一つですね。
この記事では、これらの理由について紹介していきます。
|なぜ飽きやすく精神的に弱い人が「できる人間」なのか?
飽きるということは「ほとんど完璧にできてしまい、つまらない」ということです。
これをロボットのように繰り返すのは、脳の成長を奪うだけではなく、様々な発見や経験の機会を失うことになるため、自然と脳が拒否反応を示すのです。
それをするのが「嫌だから」という理由とは異なるのです。
同じ課題や仕事でも、効率的なやり方を考え、早く終わらせることができます。
しかし、その対応はどうでしょうか?
同じようなものを3倍近く渡され「これもやっておいて」と、称賛も感謝もされず、詰まらないものを何倍も課されます。
日本の教師や上司は、能力の高い人間に恨みでもあるのか?と思ってしまう程です(笑)
能力の高い人間が同じことを繰り返しやらされている横で、学習能力の低い人間は、親身に教えられて、簡単なものができれば褒められたりしますね。
できる人間は、同じものを繰り返し処理しているうちに、覚えることがなくなるため、考えごとが多くなります。
このような待遇の異なる環境で、考えごとが増えてしまうと、精神衛生上よくありません。
学習能力が低ければ、解き方や仕事を覚えるだけで手一杯なため、あまり考え事をせずストレスを感じないので精神を病みません。
これが、できる人間が精神的に弱いと思われている理由です。実際には、できない人間の集まった社会ができる人間に負担をかけているだけです。
|学校が教えない教育の目的について
日本の教育機関は、戦時中から工場で働くことを目的とした教育をしてきたので、日本の教育で望まれてきたことは工場の奴隷育成なのです。
工場で働くことを目的とした教育というのは、機械のように考えないで働ける人間、言われたことをやる人間を育てる教育です。これに、説明不足な上司が気持ちよく指示できるように「自分で考える」あやふやな教育が追加されている感じですね。
学校の教育で、できる生徒が新しいものを覚えていくのではなく、同じ課題を繰り返し解かされるのは、会社や工場での仕事に似せているからです。
この環境にいると、素晴らしい考えや自由な発想をする能力が失われます。日本から世界的な経営者が生まれない原因ですね(苦笑)
ほとんどの日本の教育者は、自身が日本の奴隷教育に染まり、発想力の無い人間になっていることを知りません。
そのため、(機械のような)仕事のできる人間、(思考をせず)精神を病まない人間を、できる人間と評価しますし、こういった人間に変えていくことを生き甲斐としています。
声を大にして自由な発想をしようものなら、これらの教育者や、この考え方に染まった人間が、必死に潰しにかかろうとするものです(笑)
自由な発想を褒め称えて、才能を伸ばす教師も中にはいますが、今の社会では四面楚歌の状態で、それ以上の活躍ができないといった感じですね。
|まとめ
飽きやすいをマイナスに感じるのは日本の教育に染まっているからです。
飽きやすい仕事はこれからの時代、どんどんロボットに任せれば良いのです。
私たちは、機械に指示を的確に出す、機械ではできない組み合わせを考える、といった発想を生かすことをしていくべきなのです。
能力が高く飽きやすい人間は、日本の教育や社会の枠にとらわれずに、伸び伸びと成長していくべきですね。
最後まで読んで下さいました方へ、
どうも有り難う御座います。
mitineco
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