2017年7月31日月曜日

子宮腺肉腫 発症からセカンドオピニオンまで 〜病気のお話〜


ども、えこうさです。

7月31日は、私の母親の命日ということで、ちょっと母親の病気のお話をしたいと思います。

タイトルにもございます、子宮腺肉腫。

子宮の肉腫ってのも結構珍しいのですが、腺がついていることによって、超ど級に珍しい病気になっておりますので、基本、検索をしていただいてもほとんど出てこない病気だと思います。

私自身、医学的知識はほぼ皆無なので、あくまでも自分の母親に起こったことを、試したことを簡単に(思い出しながら)書いていこうかと思います。

また、長くなってしまうので、何回かに分けて書いていこうかと思います。

とりあえず、この病気に関して、あまり情報がないのですが、一応、参考のサイトを貼らせていただこうと思います。

https://jsog-k.jp/journal/lfx-journal_detail-id-20218.htm リンク先:関東連合産婦人科学会

https://ameblo.jp/kyusan0225/entry-12237021449.html 
リンク先:産婦人科医きゅーさんが伝えたいこと


子宮摘出

20年ほど前。私がまだ小学生のときでした。
子宮に筋腫があるということで、入院。小学生だったこともあり、お腹を手術する。ということくらいしか把握してませんでした。
父親に聞いた話では、このときの診断では、単なる子宮筋腫としか診断されておらず、悪い部分をとりのぞいて終わったそうです。
ただし、その1年後、再発。
子宮筋腫再発するのか?というところなのですが、やはりここでは単なる子宮筋腫が”残っていた”ということで全摘しているようです。

その後20年間は定期的に産婦人科(手術した)を受診しており全く問題はありませんでした。


再発?発病?


私が、30歳の時、大きな親子ゲンカをしました。ちょうどその年の、
12月の中旬。母親が体調が悪いと言い始めました。
ただ、その年の9月か10月に、定期検診に行っており、特に問題はないと言われていたため、単なる風邪だろうとあまり問題視していませんでした。(その時、喧嘩で若干鬱になっていたためか、女性ホルモン(貼るタイプ)が処方されていました。)

年が明けて、1月。
体調は改善せず。微熱も続き、さらにひどい便秘になりました。
もともとそんなに快便な方ではありませんでしたが、1週間ほとんど出ない状態でお腹が張っているとのこと。なので、ご飯自体もあまり食べなくなりました。

あまりにひどいため、大腸の方の検査を受けることに。(別の病院)

だいたい、1週間くらいで結果が出ると聞いていましたが、ほんの数日後に病院から電話があり、何かが腹部にあるので明日きてください。とのことでした。

結果を聞きに行くと、大腸より上の部分に、何かがある。
通常考えると、部分的には子宮の位置に当たる。
産婦人科の主治医がいるのであればデータもあるだろうしそちらの病院に相談した方がいい。とのことでした。

ですが、先にも書いた通り、すでに全摘しているはずで、定期検診も受けたばかりなのに・・・


とりあえず、主治医に相談、再度受診したところ、やはり子宮の位置に何かあるとのこと。ただ、子宮をすでに全摘していることは間違いない。
これ以上は、ここでは難しい。とのことで、大学病院に紹介状を出してもらうことに。

忘れもしない、3月11日。大学病院へ。
紹介状はありましたが、5時間くらい待たされました。
組織細胞を採って病理検査。
遅い昼食をとろうとした時、東日本大震災発生。
2週間後に、病理検査の結果が出ると言われていましたが、それからがちょっと地獄でした。
「計画停電」・・・。まだ寒い日が続く中の計画停電。本当に2時間、真っ暗闇。何もすることができず、母親の体調を気にしながら電気の普及を待つ。

数日後、トイレで意識を失い救急車で運ばれる。
大学病院はまだ検査段階だったため受け入れてもらえず、大腸の検査を受けた病院に運ばれるも、うちの病院からは手が離れているから明日大学病院に行ってください。と言われ返される。

次の日、大学病院へ。
そのまま入院。

ストーマ手術 〜 告知

https://ja.wikipedia.org/wiki/ストーマ  リンク先:ストーマ ウィキペディア



ストーマってご存知ですか?
簡単にいうと、人工的に作った排泄口。

母親が意識を失った原因。母親のお腹の中にできた何かが、腸を押してしまい、うんぴの排泄がほとんどできなくなってしまったためでした。

ストーマの取り扱いの指導などもあり、そのまま検査結果が出るまで入院となりました。
結果は、やはり子宮の場所に腫瘍があり、まだ、良性のものなのか悪性のものなのかはわからない。手術ができるのかできないのかの判断についてももう少し確認が必要とのことで、入院継続。

4月、初旬。

告知。

はじめに申し上げると、正直、この大学病院の医師については、今でも怒りを覚えています。

普通にお見舞いに来ていたある日、結果が出たので来てください。と看護師さんに呼ばれました。
私は、母親は治る。前のように悪いところさえ取ってしまえば、(ストーマとはこれからも付き合わなければならないだろうが)大丈夫。と思い込んでいたので、病室で待ってると言いましたが、先生がご家族全員でと申してますので。と言われ、別室へ。

そこで言われたことは、
「お母さんのお腹の中には、大きな腫瘍があります。
今回、他の医師とも協議した結果、大きさと以前にも手術をしているということもあって、手術はできません。
放射線治療をしたとしても小さくなる可能性は低いです。おそらく、余命は3ヶ月くらいでしょう。こちらでは、もう何もできませんので、今後をどうするか、ご家族で話し合ってください。」

それはつまりどうゆうことですか??・・・・頭真っ白でよくわからなくなりました。


「ご自宅で、余生を過ごすのか、ホスピスに入るか。
あ、セカンドオピニオンをしたいというならそれはそれで構いません。
こちらは気にしませんので。」


ほんと、こんな言い方でした。
(その後1ヶ月くらい後に、セカンドオピニオンの紹介状の相談に行った際、母親に「あんた、まだ生きてたの?」と言い放ったそうです。)




結局母親の意向で、自宅にいたい。ということになり、次の日退院。

それからは、万が一でも治れば・・・と思い、野菜中心、塩分をなるべく控えた食事。体を温める生姜を使った食事。悪いところを温めるといいということで、手をお腹に当てて、治れーとやってみたり・・・

5月初旬、セカンドオピニオンのため、検査結果のデータを持って、静岡にある県立がんセンターへ。
結局同じ見解でしたが、ここのがんセンターでも症例はなく、とても珍しいがんなので、研究モデルにさせていただけないかということでした。
ただ、入院はできない。。。。そもそも、ここまで2時間以上かけて来ているので通いはできませんとお断りしました。


これが発症から告知まで。
次回は、ある治療法と、この病気の奇妙な話。についてを書いていこうと思います。




































 


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