2017年8月2日水曜日

子宮腺肉腫 奇妙な症状、試した治療 


ども、えこうさです。

最近ネットの調子が悪く、時々途切れてしまうことがあります。

スプラトゥーン2発売日から、なので、てっきりスプラトゥーンのせいで回線が遅くなっているのかなぁと思っていましたが、未だに遅いので、たまたまその日から問題が出てきたのかもしれません。

回線が遅くなった場合、考えられることとしては、モデムの不良・LANケーブルの抜けかけ・断線・ルータ(Wi-Fi 以降ルータのみで記載)の異常などなどが考えられます。
(端末の故障も考えられますが・・・。例えばスマホはWi-Fi経由で使えていて、pcだけが繋がらない場合は、使えない端末の故障が考えられます。)




どちらにしてもまずは、LANケーブルが抜けかかったりしていないかを確認のうえ、
①ルータの電源を切る。(ルーター側の電源コードを一旦抜く)
②モデムの電源を切る。(モデム側の電源コードを一旦抜く)
ちょっと待つ。3分程度。
③モデムの電源を挿し直す
ちょっと待つ。(起動に時間がかかる)やはり3分程度
④ルータの電源を挿し直す

これを試して、7〜8割は改善すると思われます。
(えこうさ、もともと通信なども取り扱っている会社におり、お客さんに上記内容の説明、散々していました。)

時々、電話をするのが苦手と言う方で、上記を試しても使えなかったり、途切れていたり、不便のまま使っている方もいらっしゃいますが、早めに連絡して対応してもらいましょう。もったいないです!!!

てな訳で。我が家も試してみてダメだったので電話たところ、BB ユニットを交換して、様子を見ることになりました。(配達まち)
今のところどれが原因なのかは不明のようです。(たまにあったなぁこういうお宅・・・。結局別のプロバイダに変更になった。)




さて、話は変わりまして、先日の続きです。

まぁ、ちょっと暗めな?話になってしまうのですが、こんな病気もあるんだなぁと知っていただければ幸いでございます。

先日も、書かせていただきましたが、えこうさは全く医学の知識はございません。
あくまでも母親に起こったこと。試したことを記載させていただきまます。

参考サイト

https://ameblo.jp/kyusan0225/entry-12237021449.html 
リンク先:産婦人科医 きゅーさんの伝えたいこと



腺肉腫の奇妙な症状


前回の記事でも記載させていただいておりますが、母親は9月に定期検診を受けています。その後3ヶ月の間で急に発病するのか。ということですが、この病気の特徴として、「腫瘍がものすごい勢いで急成長する。」と言う特徴があるらしい・・・。

なので、たったの3ヶ月の間で、お腹の中で急成長したかもしれず、9月の定期検診の際、見逃したんだ!!!!とは言い切れないのです。
(ただ、本当にあくまでも素人意見なのですが、9月に処方された『女性ホルモン』はこの病気に何らか、関わっているのではないか。という気がしています・・・。)


さて先日は、セカンドオピニオンで県立のがんセンターへ行ったと言うお話までさせていただきました。その後ですが、ただ何もしなかったと言うわけではなく、なんとかならないものか。と模索を続けておりました。
(なるべく塩分を抑え、抗酸化作用のある野菜、免疫力を高めるための生姜などを使った食事をし、お腹を温め・・・)

5月後半、親戚のおじさんから、もともと国立のがんセンターにいた医師が、今、とある診療所にいるので一度相談して見たら?と言うことで紹介してもらいました。



この医師のおかげで、医者不審になっていた母親は最終的に救われた・・・と言っても過言ではないと思います・・・

今までのデータを持って、その医師の診療所に行きました。
結果、今までの2つの病院の見解とは相違はありませんでしたが、万が一にもと言うことである治療法を試して見ては?と紹介されました。

現在は、取り扱いされている病院もあると思いますが・・・

高濃度ビタミンc治療

アメリカでは、すでに治療として使われているらしい?(セレブなどは、美容のためビタミんc点滴を行なっていたりするそうです。)
最近は日本でも取り扱っている病院もあるようですが、現在も治療としての認可は降りていないため、保険の適用外になるのでかなり高額。
(これについては・・・正確なことが言えないので、参考サイトは記載いたしません。あくまでもうちの母親の結果だけを記載させて頂きます。)

体に負担なくでき、自分自身の抵抗力?を一気に高めることによって、がん細胞と戦うというものらしい。(基本、本来の治療と追加で行う??)


藁にもすがりたかったので、お願いすることになりました。


それと、緩和ケア科のある病院を紹介していただきました。
緩和ケア科、現在はかなり増えてきていますが、6年前にはほとんどありませんでした。

緩和ケア
リンク先:厚生労働省

そこの病院で新しい産婦人科の主治医、緩和ケア科から在宅看護の専門の医師を紹介していただき、面談。
(在宅看護専門の先生を含め、すごくいい医師ばかりで、母親は最期までこの先生がたには感謝していました。逆に、大学病院のクソ医者には、最期まで恨みをいっていましたwww)


話は戻りまして、高濃度ビタミンc。
後日再度診療所を訪問し、点滴をしました。ちょっと、調子が良くなった気がする。と言っていた翌日!!!

なまなましい話ですが・・・トイレに入った母親が、「何かでた!!!!」とのこと。
なんと、腹のなかからこぼれ落ちた腫瘍が出てきたのです・・・
ビタミンcの効果でがん細胞が排出されたのでしょうか・・・・。
おかしな話ですが、翌日、落ち着いてから、その「奇妙な物体」を持って、産婦人科の主治医のところに行きました。

もしかしたら、全部でて、治ったりする奇跡か?!!!と私は奇跡を願っていたのですが、診察をしてみると、若干小さくなってはいるもののまだいくつか残っているとのこと。



えこうさ初めての入院、在宅看護の大変さ。



6月後半、ストレスからでしょうか、寝ている時から腹痛。
朝起きてからも、激しい腹痛。
トイレ痛という痛みではなく鈍痛、時間を置くごとに痛みがまし・・・仕事は休んだものの耐えられない状態に。
父親に近くの内科に連れて行ってもらいましたが、病院に着いて、待っている時に意識を失いベッドに運ばれ、採血、点滴。意識が戻ったところで診察。
白血球の数値が高く、右の横っ腹を押されるとものすごく痛いとうことから、大腸憩室炎の疑いがあるということで、総合病院に連絡を取ってもらい、すぐに移動。もう普通に立っていられない状態・・・。
そのまま入院となりました。
大腸憩室炎とは。大腸にくぼみができ、そのくぼみ自体は誰にでもできるものなのですが、そこが炎症してしまい起こる病気でした。
手術などはせず(ひどい場合は手術もあり)、食事は不可。抗生物質、栄養剤の点滴のみで、まるまる3日間。その後ちょっとずつ食事を戻して最後に、内視鏡検査。
結局1週間の入院になりました。


私が退院する前日に、母親が入院。
顔がパンパンにむくんでしまい、検査のため入院していました。

検査の結果・・・腫瘍が大きくなり、腎臓の一つが潰れてしまい、機能しなくなっていたことが原因でした。そのため、生きている方の腎臓に管を通し、そこから直接尿をだす処置をしまいした。
どちらにしてもその処置が済めば病院にはいられないので、その間に自宅看護用のベッドを手配。7月頭、自宅へベッド搬入。退院。

今までは、まだ母親も自力で歩くことができていましたが、管を通してしまっているため容易には歩けなくなりました。
病気がわかってから父親は仕事を辞めていましたが、なんだかんだで出かけることも多く、その際には私が仕事を休んで母親の近くにいました。
何か困ったことがあれば、在宅看護専門の医師が訪問してくれたり、看護師さんがベッドにいながらの洗髪してくれたり、本当に助かりましたが、やはり日に日に、痛い・・・苦しいという言葉が多くなっていきました。

痛み止めの飲み薬、はるタイプのモルヒネ(患者以外はシール部分に触れてはいけない)もいただきましたが、はじめの1時間ほどはきいているもののすぐに、効かなくなってしまい、夜も眠れない状態に。
私は仕事があったので、次の日が休みの日以外は自分の部屋で寝ていたのですが、付き添っていた父親はほとんど眠れていなかったそうです。

医療用のモルヒネでは幻覚はないと言われていますが・・・、ある日父親が買い物で外に出ている時に薬が切れたらしく、痛い!!と言い始め、父親はどこに行ったのか。すぐに連れ戻してくれと騒ぎ出してしまいました。一応、もう帰ってくると思うから。買い物言ってるだけだから。となだめたりしていましたが、急に、「難波の商人が来ている。」とわけのわからないことまで言い始めてしまい・・・。その時は正直、どうしていいかわからず、泣きそうになりました。
最期の方では、私のことも誰だかわからなくなってしまうことも・・・・。


7月30日この日はちゃんと意識がありました。もう普通の食事はできず、シェイクをとかしたような缶入りの栄養剤をストローで飲む程度しかできなくなっていましたが、朝から、高濃度ビタミンcの点滴をして少し元気が出たようで、「頑張らなきゃいけない!!ポカリスエットが飲みたい、アイスも食べたい」と言い、氷を入れたポカリやアイスをスプーンで食べさせてあげたことを覚えています。

しかし、その後、私は父親と喧嘩をして、外出。
夜、私が帰ってくると、おかえり。と母親が元気なく手を振ってました。


手を触ると、ものすごく冷たくなっていました。




その後は、ずっと、痛い。痛い。と繰り返し、尿を出す管には血が混じっていました。
深夜でしたが、医師に電話(いつでも何時でも嫌な顔せず、話を聞いていただけました。本当に医師には感謝です。)7月31日。朝、4時ごろ来ていただき、点滴をし落ち着いたので、父も私も力尽きて仮眠・・・

7時過ぎ。父の、「亡くなっちゃってる!!!」・・・という声で飛び起きました。

悲しい、寂しい・・と、もちろん思いましたが、少しホッとした。というのも事実でした。


このころのことは、今でも夢に見ることがあります・・・。
あれから早6年。あっというまでした。



子宮腺肉腫についてのまとめ

子宮肉腫自体、まれではあるが、腺肉腫はさらに症例が少ない。

症例が少ないだけあり、治療の確立ができていない。


結局のところ、・・・まとめられるほど情報がない。ってところでしょうか。




・・・・遺伝・・・、しないといいなと願うばかりです。




総まとめ


お医者さんは選びは、すごく大事。
ウデもそうですが、人柄が重要。

自宅看護、思っている以上に甘くないです・・・
もし、自宅看護をされる場合、本当に信用できるお医者さんを見つけてください。

高濃度ビタミンc、うちの母には効いていたようです。本来は、治療に追加してになるようです。高額ですが、試す価値はある・・・のかもしれません。














2017年8月1日火曜日

日本のお盆には不思議なことがいっぱい?



こんにちは。
mitinecoです。

暑さも真っ盛りの8月になりましたね。

8月といえば、夏祭りの他に「お盆」があります。

私は年に数回だけ実家に帰省するのですが、欠かさず帰るのはお正月とお盆です。

一年の初めと真ん中に帰って、無事にやっていることを家族やご先祖様、神様に報告しています(笑)



このお盆は8月の真ん中くらいにありますが、本来お盆は8月のはじめからということを知っていますか?

今回は、お盆について少し書いていこうかと思います。



|お盆の行事の由来について


意外と知られていないことは、お盆ってどういう行事なのか?ということですね。

お盆は仏教の行事で、インドの盂蘭盆会が元になっているものです。

盂蘭盆会の教えでは、とある修行僧がご先祖様が地獄で苦しんでいる夢をみてお釈迦様に相談したところ「皆に食事をふるまったり、良い行いをして過ごすと、ご先祖様は極楽浄土へ行くことができる」と教えられます。

この食事をふるまった日がお盆のお祭りの日です。そして、この教えを忘れないために、毎年繰り返しているわけです。

そして、インドでの盆踊りは「ご先祖様が地獄から極楽浄土へと旅立てる喜び」を表しています。



ご先祖様が罪を償っていた地獄の釜ですが、お盆のはじまりにあたる8月1日にはこの釜の蓋が開くといわれています。

そして15日前後にお祭りをしたのち、24日に再び地獄の釜は閉じられてしまうのです。

日本のお盆ではこれに合わせて、10日くらいに迎え盆、20日くらいに送り盆をします。さらにその前に、ご先祖様の送り迎えをするナスやキュウリの馬を飾るなどの準備があります。

お盆祭りのときには花火を打ち上げたりして「おかげさまで元気に暮らしていますよ」と、ご先祖様に感謝を伝えたりもします。



|日本のお盆祭りの不思議について


ここまではワリと有名なのですが、日本の盆踊りにはもう一つ意味があります。

祖先の霊とともにやってきて悪さをする悪霊にとり憑かれないため、追い払うため、といった意味合いもあるようです。

女性が三日月笠を深くかぶって顔を隠して踊ったり、ヒョットコや狐のお面で顔を隠すのです。

喜びを表現するインドの盆踊りとはだいぶ違いますよね。

子供の頃に不思議だったのですが、これについては誰からも教えてもらったことはないですね。



私の予想ですが、もともと日本にあった神様を祀るための収穫祭のお祭りが、元になっているのかもしれませんね。

収穫祭では、他の民族や野生の動物が食べ物を目当てにやってくるため、女性や子供は恐ろしい変装をするところが数多くあります。

ケルト人のハロウィンでも、子供が魔女やお化けの変装をしています。

先祖供養の平和な行事とは違うため、子供の頃の私は、日本の盆踊りに疑問を抱いたのでしょう。



|まとめ


お盆は8月をまるまる使う祖先を供養するための行事です。

日本ではお祭りで盛り上がるのはご法度のような感じがありますが、祖先の喜びを表現するように、楽しく過ごすのも良いですね。

もちろん浮かれすぎてマナー違反や喧嘩をするのはご法度ですが。。。



最後まで読んで下さいました方へ、
どうも有り難う御座います。

mitineco


2017年7月31日月曜日

子宮腺肉腫 発症からセカンドオピニオンまで 〜病気のお話〜


ども、えこうさです。

7月31日は、私の母親の命日ということで、ちょっと母親の病気のお話をしたいと思います。

タイトルにもございます、子宮腺肉腫。

子宮の肉腫ってのも結構珍しいのですが、腺がついていることによって、超ど級に珍しい病気になっておりますので、基本、検索をしていただいてもほとんど出てこない病気だと思います。

私自身、医学的知識はほぼ皆無なので、あくまでも自分の母親に起こったことを、試したことを簡単に(思い出しながら)書いていこうかと思います。

また、長くなってしまうので、何回かに分けて書いていこうかと思います。

とりあえず、この病気に関して、あまり情報がないのですが、一応、参考のサイトを貼らせていただこうと思います。

https://jsog-k.jp/journal/lfx-journal_detail-id-20218.htm リンク先:関東連合産婦人科学会

https://ameblo.jp/kyusan0225/entry-12237021449.html 
リンク先:産婦人科医きゅーさんが伝えたいこと


子宮摘出

20年ほど前。私がまだ小学生のときでした。
子宮に筋腫があるということで、入院。小学生だったこともあり、お腹を手術する。ということくらいしか把握してませんでした。
父親に聞いた話では、このときの診断では、単なる子宮筋腫としか診断されておらず、悪い部分をとりのぞいて終わったそうです。
ただし、その1年後、再発。
子宮筋腫再発するのか?というところなのですが、やはりここでは単なる子宮筋腫が”残っていた”ということで全摘しているようです。

その後20年間は定期的に産婦人科(手術した)を受診しており全く問題はありませんでした。


再発?発病?


私が、30歳の時、大きな親子ゲンカをしました。ちょうどその年の、
12月の中旬。母親が体調が悪いと言い始めました。
ただ、その年の9月か10月に、定期検診に行っており、特に問題はないと言われていたため、単なる風邪だろうとあまり問題視していませんでした。(その時、喧嘩で若干鬱になっていたためか、女性ホルモン(貼るタイプ)が処方されていました。)

年が明けて、1月。
体調は改善せず。微熱も続き、さらにひどい便秘になりました。
もともとそんなに快便な方ではありませんでしたが、1週間ほとんど出ない状態でお腹が張っているとのこと。なので、ご飯自体もあまり食べなくなりました。

あまりにひどいため、大腸の方の検査を受けることに。(別の病院)

だいたい、1週間くらいで結果が出ると聞いていましたが、ほんの数日後に病院から電話があり、何かが腹部にあるので明日きてください。とのことでした。

結果を聞きに行くと、大腸より上の部分に、何かがある。
通常考えると、部分的には子宮の位置に当たる。
産婦人科の主治医がいるのであればデータもあるだろうしそちらの病院に相談した方がいい。とのことでした。

ですが、先にも書いた通り、すでに全摘しているはずで、定期検診も受けたばかりなのに・・・


とりあえず、主治医に相談、再度受診したところ、やはり子宮の位置に何かあるとのこと。ただ、子宮をすでに全摘していることは間違いない。
これ以上は、ここでは難しい。とのことで、大学病院に紹介状を出してもらうことに。

忘れもしない、3月11日。大学病院へ。
紹介状はありましたが、5時間くらい待たされました。
組織細胞を採って病理検査。
遅い昼食をとろうとした時、東日本大震災発生。
2週間後に、病理検査の結果が出ると言われていましたが、それからがちょっと地獄でした。
「計画停電」・・・。まだ寒い日が続く中の計画停電。本当に2時間、真っ暗闇。何もすることができず、母親の体調を気にしながら電気の普及を待つ。

数日後、トイレで意識を失い救急車で運ばれる。
大学病院はまだ検査段階だったため受け入れてもらえず、大腸の検査を受けた病院に運ばれるも、うちの病院からは手が離れているから明日大学病院に行ってください。と言われ返される。

次の日、大学病院へ。
そのまま入院。

ストーマ手術 〜 告知

https://ja.wikipedia.org/wiki/ストーマ  リンク先:ストーマ ウィキペディア



ストーマってご存知ですか?
簡単にいうと、人工的に作った排泄口。

母親が意識を失った原因。母親のお腹の中にできた何かが、腸を押してしまい、うんぴの排泄がほとんどできなくなってしまったためでした。

ストーマの取り扱いの指導などもあり、そのまま検査結果が出るまで入院となりました。
結果は、やはり子宮の場所に腫瘍があり、まだ、良性のものなのか悪性のものなのかはわからない。手術ができるのかできないのかの判断についてももう少し確認が必要とのことで、入院継続。

4月、初旬。

告知。

はじめに申し上げると、正直、この大学病院の医師については、今でも怒りを覚えています。

普通にお見舞いに来ていたある日、結果が出たので来てください。と看護師さんに呼ばれました。
私は、母親は治る。前のように悪いところさえ取ってしまえば、(ストーマとはこれからも付き合わなければならないだろうが)大丈夫。と思い込んでいたので、病室で待ってると言いましたが、先生がご家族全員でと申してますので。と言われ、別室へ。

そこで言われたことは、
「お母さんのお腹の中には、大きな腫瘍があります。
今回、他の医師とも協議した結果、大きさと以前にも手術をしているということもあって、手術はできません。
放射線治療をしたとしても小さくなる可能性は低いです。おそらく、余命は3ヶ月くらいでしょう。こちらでは、もう何もできませんので、今後をどうするか、ご家族で話し合ってください。」

それはつまりどうゆうことですか??・・・・頭真っ白でよくわからなくなりました。


「ご自宅で、余生を過ごすのか、ホスピスに入るか。
あ、セカンドオピニオンをしたいというならそれはそれで構いません。
こちらは気にしませんので。」


ほんと、こんな言い方でした。
(その後1ヶ月くらい後に、セカンドオピニオンの紹介状の相談に行った際、母親に「あんた、まだ生きてたの?」と言い放ったそうです。)




結局母親の意向で、自宅にいたい。ということになり、次の日退院。

それからは、万が一でも治れば・・・と思い、野菜中心、塩分をなるべく控えた食事。体を温める生姜を使った食事。悪いところを温めるといいということで、手をお腹に当てて、治れーとやってみたり・・・

5月初旬、セカンドオピニオンのため、検査結果のデータを持って、静岡にある県立がんセンターへ。
結局同じ見解でしたが、ここのがんセンターでも症例はなく、とても珍しいがんなので、研究モデルにさせていただけないかということでした。
ただ、入院はできない。。。。そもそも、ここまで2時間以上かけて来ているので通いはできませんとお断りしました。


これが発症から告知まで。
次回は、ある治療法と、この病気の奇妙な話。についてを書いていこうと思います。